名古屋高等裁判所 昭和35年(ネ)160号 判決 1960年10月28日
控訴人(原告) 鈴木典鋳
被控訴人(被告) 愛知県知事
原審 名古屋地方昭和三四年(行)第一七号
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人が訴外尾関弥十郎に対し昭和三一年一一月一日付をもつてなした原判決添付目録記載の土地についての売渡処分の無効なることを確認する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の事実上及び法律上の陳述は、左記に附加するところの外、原判決の事実摘示と同一であるから、こゝにこれを引用する。
(控訴代理人の主張)
一、本件土地が農地法第八〇条第一項に該当するか否か、即ちその認定をなすべき旧所有者の売払申請が同法施行令第一六条第四号の要件を充すか否かの認定権は、農林大臣に存するものである。従つて、裁判所としては右申請を前示要件を充すと認めても、農林大臣はこれを却下するかも知れないし、又その反対の場合もあり得る。故に本件訴訟提起の利益は、農林大臣において控訴人の売払申請を採用するかも知れないという可能性が存すれば足るのであつて、必ずしも確実にその売払を受け得る確証を必要とするものではない。しかして、その可能性の有無は前述のように農林大臣の決定にかゝるのであつて、裁判所の判定し得るところでないから、裁判所としては控訴人が農林大臣に対し農地法所定の売払申請をしたかどうかを審査すれば足り、それ以上控訴人に対し主張立証を求める必要は存しないといわねばならない。ところで控訴人は原審において、控訴人が昭和三四年五月二五日農林大臣に対し農地法第八〇条、同法施行規則第五〇条により売払の申請をした旨主張し、且つ甲第一号証の一、二によりその事実を証明したのであるから、本件訴訟の確認の利益はこれをもつて充分と考える。
二、本件土地はその買収前、既に宅地造成の目的をもつて耕地整理を完了したもので、名古屋市の中心に近くいわゆる防衛道路と称する幅員一八間の舖装道路に面し、周囲は人家稠密の度を加えつゝある市街地であり、且つ自作農創設特別措置法施行規則第七条の二の三にもとづく売渡留保地であつた。控訴人は本件土地をその買収前家屋建築の目的で埋立てし事実上宅地となしたのであるが、このうち辻本通り一丁目二三番の二畑四反一畝二八歩の隣地には既に家屋一〇戸を築造してあつた。従つて、本件土地は農地法第八〇条第一項にいわゆる「自作農の創設又は土地の農業上の利用の増進の目的に供しないことが相当な土地」であり、控訴人は右土地を将来宅地とし、その地上に家屋を築造して一部は自ら家族の住宅として使用し、他を賃貸して現下の住宅難の緩和に役立てる積りである。それ故、本訴請求が容れられ被控訴人のなした売渡処分の無効であることが確定すれば、農林大臣は控訴人の前記売払申請の許否を審査することゝなり、しかして施行令第一六条第四号に掲ぐる要件はすべて土地の利用方法に関するものであつて、同号の「確実な土地」ということも主として転用事業の確実性(即ち経済力)をいうのであるから、資産約八億を有する上に失地回復の希望に燃ゆる控訴人の申請は、家屋建築の確実性は完ぺきであり、許容せられること明白である。
現今の住宅事情を見ると、住宅の建設は自己の用途に使う場合と他人に賃貸する場合とを問わず、等しく住宅難の緩和に貢献するのであつて、それ自体施行令第一六条第四号にいわゆる「国民生活の安定上必要な施設一に該当するが、農林省もこの実情を認め、昭和二八年六月四日「二八農地第二〇七七号」及び同年七月七日「二八農地第二七一二号」をもつて「個人の自己資金による住宅の建設は公用公共用と等しく取扱うべき」旨を通達したのである。従つて、本訴において控訴人が勝訴しその判決が確定すれば、控訴人は農林大臣より前示申請にもとづき本件農地の売払を受け得る確実性はまことに顕著である。
三、そもそも訴訟の利益ということは、原告に現実の権利があり国がその権利を侵害したときにその救済を受け得るということを云うに止まらず、広く訴訟の結果により或る権利を取得する可能性ある場合をも指称するのである。本件において、被控訴人は既に本件農地を第三者に売渡してしまつているのであるから、控訴人から農林大臣に対して右土地の売払を申請しても、それだけではこれを許容され得ぬのであり、どうしても控訴人が本訴において勝訴の判決を得、右土地が形式上国の所有に復皈しなければならない。かくなれば、控訴人は農地法第八〇条により農林大臣から右土地の売払を受け得るのであつて、控訴人はまさしく本訴において訴訟上の利益を有するものである。
四、農地法第四〇条が売渡通知書に記載せられた売渡の期日をもつて売渡の効力発生の時期としたのは、売渡通知書の作成とその交付との間に時間的に多少のずれがあり、その効力発生の時期に関して疑問を生じ紛争を起すおそれがあるので、これを防止する意味で右の規定をおいたのである。売渡通知書に虚偽の日時を記載し公文書の無形偽造をなすことまで許容した趣旨ではない。この点に関して、農林省は買収の時期まで遡つて売渡の期日を記載しても差支がない旨の通達を発しているが、右は余りに便宜の取扱に過ぎ法律秩序を破壊する危険がある。仮りに遡及売渡が可能であるとしても、それは改正法令の施行期日を限度とすべきであつて、それ以前にまで遡つて旧法を適用して売渡すことは許さるべきでない。況んや、法令の拘束を免れ委託者たる国に対し損害を被らしめる認識のもとに、故意に売渡期日を遡及せしめて旧法を適用したことは、本件売渡処分の重大な違法であつて、刑事的には背任罪を構成し民事的には脱法行為に該るというべく、とうていその効力を生じ得ないのである。
(被控訴代理人の主張)
被控訴代理人は、控訴人主張のような農林大臣の各通達(二八農地第二〇七七号及び二八農地第二七一二号)の存在を認め、なお控訴人が原審において提出した甲第四号証の成立を不知と答えた。
理由
一、本件土地はもと控訴人の所有であつたが、昭和二三年一〇月二日自作農創設特別措置法第三条により国に買収せられたこと、右土地の耕作者たる訴外尾関弥十郎が同二九年一一月一七日該土地の買受を申込んだので、被控訴人は同三一年一月二四日頃その売渡を決定し、売渡期日を同三〇年一一月一日と定めた売渡通知書を同人に交付し、もつて同土地の売渡処分(以下本件売渡処分という)をなしたことは、当事者間に争のないところである。
二、控訴人は、右売渡処分には無効原因が存し、しかも控訴人は農地法第八〇条、同法施行規則第五〇条により該土地の旧所有者として売払の申込をなしたから、売渡処分の無効確認を求める利益があると主張するので、以下これらの点について考察する。
三、成立に争のない甲第一号証の二及び同号証によりその成立の真正を推認し得る甲第一号証の一によれば、控訴人は昭和三四年五月二五日農林大臣に対し、農地法第八〇条、同法施行規則第五〇条にもとづき本件土地の売払の申込をなしたことを認め得べく、右認定を左右すべき証拠はない。
ところで、農地法第八〇条第一項によると、農林大臣は同法第七八条第一項にもとづき管理する土地(本件土地は前記のように自作農創設特別措置法第三条により買収せられたものであるが、農地法施行法第五条第一項の適用により農地法第九条により買収せられたと同一の取扱を受ける)については、自作農の創設又は土地の農業上の利用の増進の目的に供しないことを相当と認めたときは、これを旧所有者に売払うことができるものとせられ、農林大臣が右認定をなすことができるのは、農地法施行令第一六条各号に列記せられた場合である。そして、右施行令第一六条第四号にいわゆる「農地が国民生活の安定上必要な施設の用に供せられる場合」とは、本件において控訴人の主張するように、個人がその自己資金をもつて住宅を建設する場合をも包含することは、同号の立法趣旨に徴して明かであり、又農林省農地局長並に建設省計画局長の昭和二八年六月四日付及び同年七月七日付各通達(右通達の存在は被控訴人もこれを争わない)の趣旨によつても疑ないところである。従つて、もし控訴人において、本件土地を住宅建設に供する緊急の必要があり、且つその用に供することが確実であることを証明しさえすれば、国より右土地の売払を受けうる可能性の存することは、これを否定できない。されば控訴人が右売払の申込をなした上、その売払を受けるための前提手続として、本件売渡処分の無効確認を求めることは、控訴人にとり法律上の利益あるものであり、いわゆる確認の利益を具えるものと云わねばならない。
四、よつて、進んで、本件売渡処分が控訴人の主張のように無効であるか否かの点を考えてみる。
控訴人が右売渡処分の無効原因として主張するところは要するに、被控訴人が本件土地につき昭和三一年一月二四日売渡の決定をしながら、その売渡通知書に売渡の期日を昭和三〇年一一月一日と定め、もつて右売渡の効力発生時期を遡らしめたのは違法であり、無効の処分であるというのである。
農地法第三九条第一項第二号にもとづき売渡通知書に記載すべき売渡の期日は、同法第四〇条によれば売渡農地の所有権移転時期であり、従つて、右期日は売渡処分を決定した日又はそれより後の日付とするのが当然のことゝ思われる。しかるに、従来農地売渡手続の行政上の慣行として、右売渡期日を過去の期日に遡及せしめ、時には当該農地の買収の日をもつて売渡期日とする取扱の存したことは、一般に顕著な事実である(昭和二二年七月二三日農林省農政局長通達参照)。そして、このことは、「特別会計における会計年度の問題、政府による小作料徴収の問題、水利費負担の問題、農業会費負担の問題等農地売渡における各種の煩雑を避けるため必要な処置」とされたのであつて、右のような措置も、土地所有権の移転時期を遡及せしめることにより第三者の利益を不当に侵害しない限りは、あながち違法で無効の取扱というべきでなく、これを有効な処分として是認してよいと考えられる。もつとも、本件売渡通知書に掲記せられた売渡の対価は、前示のように売渡期日を昭和三〇年一一月一日に遡つて指定した関係上、右売渡期日の当時施行せられていた改正前(昭和三〇年一二月六日改正)の農地法施行令第二条を適用して定められ(即ち、該農地の土地台帳法上の賃貸価格を基準として算定せられた)、売渡処分決定当時の改正後の農地法施行令第二条所定の価額(該農地の最高小作料額を基準として計算する)によらなかつたゝめ、改正後の施行令を適用した場合に比し、若干低廉な価額で売渡されることになつたことは、被控訴人においても争わないところであり、これにより国庫に対し、右差額に相当する金額の損失を与えたことは否定し得ぬ次第である。しかし、農地売渡処分といつてもその性質は国の行政事務であり、国庫とその主体を同じくするものであるから、国庫をもつて農地売渡処分に対し第三者の立場に立つものとは解し得ず、本件売渡処分により第三者たる国庫の利益を害したものとなす控訴人の主張は首肯しがたい。なお控訴人は、本件売渡期日の遡及により右農地の買収当時の耕作人であつた訴外武田信義外数名の国に対する賃借権の存続期間を短縮せしめ、これらの者の利益を害したと主張するが、右訴外人等が本件土地の買収当時における耕作人であつたことは、これを確認すべき証拠なく(甲第二ないし第四号証の成立は被控訴人において争うに拘らず控訴人はなんらその成立を立証しない)、従つて、本件売渡処分により同訴外人等の賃借権を害したことを明白になし得ず、控訴人の主張は採用できない。更に控訴人は、農地の売渡処分が売買に類する契約とすれば、売渡の期日を遡及せしめ契約の効力発生を遡らしめるためには、土地買受人との合意を必要とするに拘らず、本件においてはその合意を欠いている旨主張するけれども、一般に農地の買受申込者は可及的速かに売渡を受けることを希望するのが通常であるから、本件売渡処分における訴外尾関ももとより右のような希望を有し、被控訴人との間に本件農地の遡及的売渡につき暗黙の合意があつたものと推定するを相当とし、この点に関する控訴人の主張も亦採用に値しない。
五、以上説明のように、本件売渡処分には、これを無効とすべき瑕疵は存在せず、その無効確認を求める控訴人の本訴請求はとうてい是認しがたい。原判決は、右売渡処分の無効原因の存否については判断せず、その確認の利益を欠くとの理由で控訴人の請求を排斥したが、その結論において当裁判所と見解を同じくし正当であるから、本件控訴は理由なきものとして、これを棄却する外なく、控訴費用の負担につき民事訴訟法第九五条第八九条を適用して主文の如く判決する。
(裁判官 石谷三郎 山口正夫 吉田彰)